vernacular tour
ヴァナキュラー・ツアー
連載

五島列島
潜伏キリシタン探訪

連載「五島列島 潜伏キリシタン探訪」の
第七回目は「最後の帳方が残した、聖衣の切れ端」です。

Text : Daizo Okauchi / Photo : Shintaro Miyawaki
奈留島
奈留島
VOL.007

『最後の帳方が残した、聖衣の切れ端』

原稿用紙に刻まれた、父の本音

奈留島に夜が訪れたころ、私たちはとある地区へ向かいました。
ここは、奈留島へ移住した潜伏キリシタンたちが、最初に切り開いた集落のひとつです。
その地区の帳方(儀式を執り仕切る役職)を長く務めた、Yさん(享年 99歳)の手記と信仰具を見せていただくためです。
Yさんが没した1998年のすぐ後に、もう一人の高齢の帳方が亡くなり、かつて島内に18の組織があった隠れキリシタンの信仰組織は、消滅しました。

迎えてくださったのは、Yさんの息子・Sさんです。
朴訥としたたたずまいで穏やかに笑うその姿からは、
誠実な人柄がうかがえます。
Sさんは父から受け継いだ隠れキリシタンの信仰具を、大切に守り続けています。

Sさんは、古い箱を取り出しました。中には半紙に墨で書かれたオラショ(「かみさまへの祈りの言葉)や、一年の儀礼の日付が記されたバスチャン(長崎県の外海地方で活動していた日本人伝道士で、信徒が信仰を守り続けるために欠かせない教会暦・日繰りや、潜伏キリシタンたちに希望を与える予言などを残した伝説の人物)の暦が入っています。
どれも帳方が儀式を行う際に必要なものでした。

ひと際、古色を帯びた竹箱の蓋を空けると、濃紺の古布が収められていました。
これは禁教時代の殉教者であるバスチャンがまとっていた血染めの衣の切れ端だと伝えられています。
その一部を切り取って半紙で包み、遺体の手に持たせると、死者が『ぱらいそ(天国)』へ行けると信じられていました。
この布は『お土産』と呼ばれ、あの世で洗礼を受けた証拠となるそうです。

Yさん

大学ノートや原稿用紙も大量に残されていました。
そこには儀式の方法やオラショの文言が、Yさんの手によって細かく記されています。豊穣や人々の安寧を願う数々の儀式。洗礼、年忌、初穂を神に捧げるとき、
御大夜(おたいや・クリスマス)、大晦日、元旦、一年最後の日曜日を迎えたとき。
儀式ごとに祈りを捧げる神が異なることもあり、その神に祈るためにオラショを何回唱えるのか、まで書き残されていました。
その中に這越さんのオラショと似たものがありました。
亡くなった男性の年慰や、洗礼の儀式の際に唱える『ケレンド』というものだったようです。

「父は誰かに帳方を継いでほしいと切望していました。私を跡取りと考えていたようで、亡くなる前の病床でも何度も言われました。もちろん葛藤はありました。親不孝をしたくないですから。でも私は漁船の操縦士をしていて、家にいないこともあり、無理でした」

これだけの儀式を、過疎化した共同体の中で維持することがどれほど困難だったかは容易に想像できます。幼いころから父の背中を見て育ち、その重みを知っているからこそ、簡単に首を縦には振れなかったのでしょう。

部分的に破損している竹製の箱。いつごろにつくられたものかは、不明。
この布の一部を切り取り、亡くなった隱れキリシタンの棺の中に入れる。

病床で交わった聖歌とオラショ

左の遺影が、Yさん。
I家の家系図。先祖を大切にする想いが伝わってくる。

あるノートに書かれていたのは、Yさんの個人史でした。I家の歴史と奈留島の原風景、そして隠れキリシタンの信仰について、重厚な筆致で記されています。

それによると、I家は江戸時代末期に大村藩から五島列島へ移り住んだ集団移住の第二陣でした。
奈留島に住んだ四家族には、現在の矢神地区、汐池地区、樫木山地区周辺の土地が与えられました。

I家は、三人の子どもを含む五人家族でした。タブノキや樫の大木が生い茂る山林を切り開き、芋や麦を育てる畑へと変えていきました。イノシシやシカから作物を守るため、山から石を運び出し、畑と山の境に六尺にも及ぶ石組みを築いたと言う記述もあります。

手記によると、明治33年にYさんは生まれました。
当時の奈留島の風俗がわかる半生が、生き生きとした文体で書かれています。かんころ芋の畑を盗人から見張ったこと。学校を辞めて漁師として働き始めたこと。寺の僧侶から「この子を寺にもらえないか」と頼まれたこと。もともとは別の名前だったものの、
画数が悪いと易者に言われてYへ改名したこと。
父親の急死によって十分な準備もないまま、オラショや儀式を学ぶことになったこと。

最初に担ったのは水役でした。神から授かった命に洗礼を授け、キリストの名を与える役目です。パウロ、ドミンゴ、マリア。さまざまな洗礼名を授けました。帳方になってからは、一年の折々には、ラテン語と日本語が入り交じったオラショを唱え、漁業と農業の豊穣を願い、初穂を神に捧げました。儀式には熱いご飯とお神酒、魚を用意したそうです。家が建てられるときや、解体されるときも梅の木を持って「ヤタマシイ」という魂入れをしました。

しかし、1970年頃を境に、ほとんどの信仰組織は後継者不足によって解散していきます。経済成長に伴う過疎化が大きな要因で、2つだけになりました。Yさんは島内の他地域の信徒たちと新たな組織をつくろうと働きかけましたが、それも容易ではありませんでした。

それでもYさんは、解散した別の組織の信徒の葬儀であっても足を運びます。そして『ぱらいそ』にいけるようにと、オラショを唱え、「お土産」を故人に持たせました。

手記には、「ご先祖様が残してくれた信仰を消すのは申し訳ない」と記されています。

『ぱらいそ』には、父や母、兄弟、友人、そして先祖たちがいます。もし隠れキリシタンの信仰が消えてしまえば、「ぱらいそ」もまた失われるのだろうか。息子や孫たちは、同じ場所へたどり着けないのだろうか。

亡くなる間際、奈留教会のカトリックの牧師が、病床に見舞いに来てくれました。

ベッドの上で、Yさんは「自分が死んだら、ご先祖様のところへ行けるのだろうか」と相談しました。

すると牧師はこう答えました。

「どの信仰も、同じところへ行けますよ」

そして牧師は聖歌を歌い、Yさんはオラショを同時に唱えました。200年以上の時を超えて重なり合った、カトリックの旋律と隠れキリシタンの言葉。そのハーモニーを耳にした家族は、涙が止まらなかったと言います。唱え終えると、Yさんの表情は、長年背負ってきたものがほどけるように和らぎ、体温が戻ったように赤らんだと言います。

潜伏時代、あらゆる拷問を受けても棄教をしなかった理由の一つが、ほんの少しだけですが、垣間見えた気がしました。来世への希望と先祖崇拝がまじりあう、『ぱらいそ』という場所への憧れ。それは隠れキリシタンの信仰の核として、引き継がれていきました。Yさんが亡くなった後、「お土産をください」と何人もの信徒が、
I家を訪れたそうです。そこには大切な人たちともう一度会いたいという、普遍的な願いも、あったのではないでしょうか。

この信仰具や手記を、これからどうするかは、まだ決まっていません。歴史的な価値が高く資料館への寄贈の依頼もありますが、Sさんにとっては、父の形見であり、先祖や家族との繋がりなのだと思います。そう思うと、歴史が個人史に変わる体験を私たちはしたのでしょう。そういった、旅と出会いを通じたミクロの視点の獲得は、私たちの認識の解像度を上げ、想像力を正しい方向に広げてくれるものなのだと思います。

奈留島の隠れキリシタンの信仰は消えましたが、この島で紡がれた物語は生きていて、人間の根源的な心理が描かれている。I家での体験は、そう思わせてくれるものでした。

筆者 : 岡内 大三

ライター / 編集者/ 映像制作
移民や少数民族など、社会的マイノリティーの取材を重ねている。単著に「香川にモスクができるまで」(晶文社)。HEAPSMAG、 KOTOBA(集英社)などの媒体にルポルタージュやエッセイを寄稿。近年は、ドキュメンタリーと身体表現が混然一体となった映像作品を制作。「知覚民話 / Inorino」(IDFF上映作品)「演奏で振り返る豊島不法投棄産廃事件」(瀬戸国際芸術祭2019DOMMUNE SETOUCHI)など。

撮影 : 宮脇 慎太郎

1981年香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返したのち、2009年から高松を拠点に本格的な写真活動開始。辺境・辺縁で生きる人々や、マイノリティーが浮き彫りにする命の流れと聖性を追求。2022年にはリアス式海岸が続く南予沿岸地域を6年間撮影した『UWAKAI』を刊行。同年に初のノンフィクションとしてインドのゴアと屋久島、二つのヒッピーの聖地を旅した『流れゆくもの~屋久島・ゴア~』出版。2002年大阪芸大卒業制作展にてホースマン賞受賞。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。2020年香川県文化芸術新人賞受賞。

公開日:2026.02.7

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