
五島列島
潜伏キリシタン探訪
連載「五島列島 潜伏キリシタン探訪」の
第二回目は「隠れキリシタンの島 ”奈留島”」です。
『隠れキリシタンの島 ”奈留島”』
互助と祈りが息づく聖地
奈留島は五島列島のほぼ中央に位置し、透明度の高い海に囲まれた人口約1,700人の島です。昭和30年頃までは住民約3,000人のうち6割が隠れキリシタンの末裔であったことから、「隠れキリシタンの島」とも呼ばれてきました。2018年に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である江上集落をはじめ、二次離島の前島と末津島を干潮時に結ぶ砂の道「トンボロ(陸繋砂洲)」、半マングローブ植物・ハマジンチョウの群落など、豊かな自然と伝統が調和する島です。


かつて島の切り立った崖に大波が打ちつけて鳴り響く重低音は、神の業と考えられ、奈留島は沖ノ神島と並ぶ聖地として崇拝されてきました。平安時代には遣唐使が中国大陸へ向かう途中に、江戸時代には参勤交代で江戸へ向かう五島藩主が、海上安全を祈願してこの島に寄港しています。こうした歴史的背景のもと、神道や仏教が比較的早い段階で伝えられ、土着の信仰と混じり合いながら、奈留島独自の信仰文化が形づくられていったと考えられます。
奈留島は、決して暮らしやすい島ではありませんでした。平地はきわめて少なく、島の大半は傾斜地で、農業に適した土地とは言えません。人々は猫の額ほどの土地を耕し、斜面を切り開いてイモ類などを育て、生業としてきました。さらに、わずかな魚や山菜を頼りに、日々の暮らしを支えていたと伝えられています。
この島に潜伏キリシタンが移り住んだのは江戸時代初期のことです。およそ1,000人だった人口は、江戸時代末期には約2,300人へと増加したとされています。奈留島では、潜伏キリシタンと先住の仏教徒との関係も、比較的良好だったと言われています。厳しい自然環境のもとで、宗教の枠を超えて限られた資源を分かち合い、協働する場面が多かったことも、その背景にあったのかもしれません。


明治中期、漁業法の制定をきっかけに、奈留島は漁業の盛んな島へと姿を変えていきました。島民の多くが漁業に従事し、海岸沿いにはイワシやきびなごを天日干しする「やぐら」と呼ばれる崖棚が立ち並びます。近隣の島々から加工を手伝う人々が行き交うほど大漁が続き、そのにぎわいは長く続きました。
しかし、大正時代、関東大震災後に深刻な不漁に見舞われます。これを契機に、奈留島では全国的にも珍しい、地区共同による組織漁業が始まりました。地区の住民が一体となり、漁獲から加工までを担い、得られた利益をできる限り地区内で分配する仕組みです。島の漁師に特別裕福な人はいませんでしたが、衣食住に困る人もいなかったといいます。また、山菜が貴重な食料だったことから、複数の集落で山を共有し、誰にでも行き渡るよう工夫する仕組みがあったと語る島の古老もいます。
奈留島を歩いていると、朗らかで人懐っこく、よく笑う島民に出会います。道を尋ねれば丁寧に教えてくれ、ときには車に乗せて目的地まで送ってくれることもありました。「これ、美味しいから」と、もぎたての果実をバケツいっぱい手渡してくれる人もいます。そうしたさりげないもてなしこそが、奈留島の文化なのでしょう。島の祭りでは今も、地区ごとに料理をつくり、ふるまう風習が受け継がれています。この高い共同性や共有意識は、資源の乏しい厳しい暮らしのなかで生まれた助け合いの精神が土台にあるように思えます。
こうした、島民が助け合いながら、きずなを大切に生きてきた奈留島の歴史や人々の精神性は、現代の日本社会が抱える課題を乗り越えるためのヒントを与えてくれるでしょう。しかし近年、山の手入れが行き届かなくなったことや海水温の変化などの影響により漁獲量は大きく減少し、島の基幹産業であった漁業は衰退していきました。それに伴って若者の流出が進み、現在の奈留島は過疎化と高齢化という深刻な課題に直面しています。


昭和中期までは、奈留港へと続く通りにパン屋や映画館、パチンコ店などが軒を連ね、にぎわいを見せていた商店街も、今では活気を失いつつあります。2024年には島内の定期バスが廃止され、さらに唯一の島内海上タクシーも2025年に廃業しました。こうした交通インフラの縮小により、次世代の産業として期待されていた観光も行き詰まり、急病人の搬送が困難になるなど、生活を支える基盤そのものが揺らぎ始めています。
それは、この島に地層のように積み重なってきた、分厚く、そして普遍的な共助の物語が、静かに失われていくことを意味します。

TEXT : 岡内 大三
ライター / 編集者/ 映像制作
移民や少数民族など、社会的マイノリティーの取材を重ねている。単著に「香川にモスクができるまで」(晶文社)。HEAPSMAG、 KOTOBA(集英社)などの媒体にルポルタージュやエッセイを寄稿。近年は、ドキュメンタリーと身体表現が混然一体となった映像作品を制作。「知覚民話 / Inorino」(IDFF上映作品)「演奏で振り返る豊島不法投棄産廃事件」(瀬戸国際芸術祭2019DOMMUNE SETOUCHI)など。

PHOTO : 宮脇 慎太郎
1981年香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返したのち、2009年から高松を拠点に本格的な写真活動開始。辺境・辺縁で生きる人々や、マイノリティーが浮き彫りにする命の流れと聖性を追求。2022年にはリアス式海岸が続く南予沿岸地域を6年間撮影した『UWAKAI』を刊行。同年に初のノンフィクションとしてインドのゴアと屋久島、二つのヒッピーの聖地を旅した『流れゆくもの~屋久島・ゴア~』出版。2002年大阪芸大卒業制作展にてホースマン賞受賞。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。2020年香川県文化芸術新人賞受賞。
公開日:2025.12.10