
五島列島
潜伏キリシタン探訪
連載「五島列島 潜伏キリシタン探訪」がはじまりました。
第一回目は「潜伏キリシタンの信仰世界」と題して、五島列島のキリシタン信仰の歴史と土着の習慣と交わりながら形態を変容させていく様子を探しに奈留島へ。
今ではわずかに残る信徒のみとなった潜伏キリシタンを巡る旅の魅力を取材しました。
『潜伏キリシタンの信仰世界』
土着の神々と結びついた潜伏期
日本にキリスト教が伝来したのは1562年のことでした。江戸時代の初期には、国内に35万人の改宗者がいたとされています。しかし、1614年に徳川幕府が禁教令を発布すると、状況は一変します。キリシタン(キリスト教徒)は棄教を強いられ、拷問や死罪を含む厳しい弾圧を受けるようになりました。
そのような状況下で、人目を忍びながら信仰を守り続けた人々が「潜伏キリシタン」です。彼らは表向きは仏教徒や神道の氏子を装いながら、キリスト教に基づく信仰を密かに継承しました。やがて、先祖崇拝や仏教などの土着の信仰や習慣と交わり、観音像やアワビの貝殻をマリア様に見立てて祀る、秘匿性の高い信仰形態へと変容していきました。

隠れキリシタンという宗教

1873年(明治6年)に禁教令が解かれると、多くの潜伏キリシタンはカトリック教会へ戻りました。しかし、戻らなかった人々もいます。彼らが「隠れキリシタン」と呼ばれる人々で、潜伏期に育まれた信仰をそのまま継承しました。その背景には、カトリック教義では土着の神仏や祖霊信仰が認められなかったこと、そして潜伏期の信仰様式が個人と共同体のアイデンティティを形成する宗教になっていたことなど、さまざまな理由があるとされています。
隠れキリシタンはいまも存在する?
隠れキリシタンは集落ごとに信仰共同体をつくり、バスチャンの暦という暦に沿って生活を送りました。信仰や儀式を秘することが重要視される隠れキリシタンの実態は、長い間謎の多いものでした。同じ集落の住人にも知られないように、信仰を続けた人がいるといいます。高度成長期の1980年ごろからは、過疎化や若者の流出により、信仰共同体の維持が難しくなりました。神道や仏教へ改宗する人々も増え、かつてのようなまとまった共同体は姿を消していきます。
現在では、長崎県の生月島や黒崎、五島列島の中通島に、わずかにその信徒が残るのみといわれています。しかし隠れキリシタンの密教的な信仰の性質上、もしかしたら、日本のどこかで、秘密裏に信仰を続ける信徒がいるかもしれません。秘する美徳が薄まりつつあるSNS時代に、そういった想像をふくらませられる余白があるのも、隠れキリシタンを巡る旅の魅力かもしれません。

潜伏が生んだ、信仰の固有性
秘密の祈りの言葉「オラショ」
潜伏キリシタンが密かに唱えてきた祈りの言葉は、オラショと呼ばれます。日本語と、聖書に由来するラテン語が混ざった独特の響きをもち、神を呼び寄せ、願いを届け、邪気を祓うために儀式の場で唱えられました。
五島列島では、周囲に気づかれることを恐れ、普段は声に出して唱えることはありませんでした。祈りの伝承は、洞窟や森の中といった人目のつかない場所で行われたといいます。

見立ての信仰
十字架やマリア像などの信仰具を持つことは、発覚すれば命取りになりかねない危険な行為でした。そのため観音像、アワビの貝殻、天照大神、十字を刻んだ石など、身の回りの物を神聖な象徴として扱い、祈りを託しました。鏡に反射する太陽の光のなかに、マリアやキリストの降臨を想像していたという記録もあり、象徴を読み替えることで信仰を維持する姿が見て取れます。

信仰共同体と儀式
潜伏キリシタンの共同体には、帳方・水方・宿老の三役が置かれていました。儀式は主に帳方の自宅で行われましたが、信徒であっても立ち会えない秘儀が多かったと言われています。新年やお盆などの日本の伝統的な日に儀式を行いましたが、角かき(洗礼)やおたいや(クリスマス)などの儀式はとりわけ重要視されました。島の古老の中には、幼少期にその一端を垣間見た記憶を語る人もいます。

死後の世界と天国
多くの宗教と同じく、潜伏キリシタンにとっても、死後(来世)に天国へ行けるかどうかは大きな関心事でした。葬式は周囲の目を避けるため仏教式で営まれましたが、読経の際にとなりの部屋でオラショを唱えたといいます。仏教のお経をオラショでかき消すことで、死者をパライソ(天国)へ送り届けようとしたのです。
殉教者の衣服の切れ端を棺に納める習慣もありました。これは死者がパライソへたどり着くための「みやげもの」とされ、死後の旅路を支える象徴的な行為でした。


TEXT : 岡内 大三
ライター / 編集者/ 映像制作
移民や少数民族など、社会的マイノリティーの取材を重ねている。単著に「香川にモスクができるまで」(晶文社)。HEAPSMAG、 KOTOBA(集英社)などの媒体にルポルタージュやエッセイを寄稿。近年は、ドキュメンタリーと身体表現が混然一体となった映像作品を制作。「知覚民話 / Inorino」(IDFF上映作品)「演奏で振り返る豊島不法投棄産廃事件」(瀬戸国際芸術祭2019DOMMUNE SETOUCHI)など。

PHOTO : 宮脇 慎太郎
1981年香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返したのち、2009年から高松を拠点に本格的な写真活動開始。辺境・辺縁で生きる人々や、マイノリティーが浮き彫りにする命の流れと聖性を追求。2022年にはリアス式海岸が続く南予沿岸地域を6年間撮影した『UWAKAI』を刊行。同年に初のノンフィクションとしてインドのゴアと屋久島、二つのヒッピーの聖地を旅した『流れゆくもの~屋久島・ゴア~』出版。2002年大阪芸大卒業制作展にてホースマン賞受賞。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。2020年香川県文化芸術新人賞受賞。
公開日:2025.11.25