
五島列島
潜伏キリシタン探訪
連載「五島列島 潜伏キリシタン探訪」の
第五回目は「江上天主堂_Part 1 / 世界遺産が誘う、共生と信仰の物語」です。
『江上天主堂_Part 1 / 世界遺産が誘う、共生と信仰の物語』
信徒の想いが宿る、木造天主堂の最高峰
奈留港から車で10分ほど北上すると、入り江に建つ江上天主堂が現れます。日本の木造カトリック教会堂のなかでも、最高峰の完成度を誇る建築物です。 2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されました。
江上天主堂が完成したのは、1918(大正7)年のこと。当時、江上地区は40戸ほどの小さな共同体でしたが、キビナゴの地引網漁などで生計を立て、その収入を少しずつ積み立てながら建設費に充てたといいます。数々の天主堂を設計した新上五島町出身の大工、鉄川与助に依頼しましたが、住民たちも大工仕事や土地の開墾などを行い、建設は進みました。そういった純粋な信仰心が紡ぐ壮大な歴史が高く評価され、世界遺産に登録されたのです。

世界遺産登録の選定にも関わった、建築史家・藤原惠洋氏とともに江上天主堂を訪ね、お話を伺いました。

――江上天主堂が世界遺産に登録された際に、評価された点を教えてください。
藤原:まずは江上地区の歴史です。18世紀の終わり頃、わずか4家族がここに上陸したと考えられています。
私が以前から気になっていたのは、なぜここを選んだのかという点でした。新天地で暮らすためには、まず水が必要です。それから、この辺りは冬場を中心に西風が非常に強いので、風を防ぐ地形や森も重要だったと思います。さらに、暮らしを立てるためには農地も必要です。わずかでも耕作できる土地があり、水が湧く。そういう場所を探して見つけたのがここだったのだと思います。近くの大串という古くからの漁村には、大きな庄屋もいて、昔ながらの仏教徒たちが暮らしていました。ここに来た人々は、そうした集落とつかず離れずの場所としてこの地を見つけ出し、共存したのです。
世界遺産の議論の時にも話したのですが、彼らはここで信仰を広げたわけではありません。潜伏せざるを得ない時代だったのです。ですから、自分たちの信仰を深め、守り続けることが大きな使命だったと思うんです。わずか4戸から始まった集落は、決して大きく広がったわけではありません。小さな共同体が維持され、その中で信仰が守られていきました。
ーーそういった共生や信仰の物語を伝える建築物として、評価されたということですね。ここでの暮らしは経済面でも大変だったと思いますが、建設資金を自分たちで集めたことにも胸を打たれます。
藤原:明治になると禁教が解かれました。
ここでも皆さん、随分ご検討され、ご苦心もされたと思いますが、カトリックへ改宗されたんですね。この辺りはイワシ漁が盛んな場所で、明治の半ばになるとキビナゴ漁も盛んになります。信徒の方々はその漁を手伝いに行き、少しずつ収益を得ます。そのお金を積み立てて、この天主堂を建てていかれたという話を聞きました。
ーー信仰そのものだけでなく、その暮らしや共同体の営みも評価されたのでしょうか?
藤原:それもそうですし、潜伏時代から先人たちが大切にしてきたこの場所を維持し続けたことにも、大きな価値があると思います。その後には小学校や中学校もつくり、自分たちの子々孫々がここで暮らしていける土地として育てていったわけですね。


暮らしの厳しさが想像できる。




――世界遺産登録後の課題についてはどうお考えですか。江上天主堂の管理は地域の信徒さんが行っていますが、信徒の減少と高齢化によって労力が足りず、維持が難しくなっていると聞きます。久賀島の五輪教会でも、同じような課題を抱えているそうです。
藤原:観光のために世界遺産があるのではなく、人類の財産を1000年後に送り届けることが、ユネスコ世界遺産条約の大きな使命です。世界遺産は登録されて終わりではないんですね。登録後に適切な保存管理を行うこと、それから訪れた方々に適切なインタープリテーション(説明)を行うことが求められています。みんなで協力し、社会に開いていくことが大切なんですね。カトリックの信徒だけではなく、奈留島の人たち、五島市の人たち、長崎県の人たちが支えていくことが、本来のあり方だと思います。
――世界遺産としての江上天主堂の役割を、どのようにお考えですか。
藤原:ユネスコ世界遺産条約が1972年に結ばれた背景には、国家間の戦争や紛争、宗教対立の深刻化がありました。そうした中で、世界遺産をきっかけに、もう一度みんなで理解し合い、出会い直そうという思いがあったわけです。そうしたことを考えるためにも、潜伏キリシタンの歴史を知ることはとても大切です。
そのためには、建築物としての魅力だけで物語を閉じるのではなく、潜伏キリシタンが17世紀初めからの長くて過酷な禁教時代をへて明治維新後の1873(明治6)年、キリシタン禁制の高札(こうさつ)撤去によりキリスト教黙認(解禁)へと歩んでいく壮大な歴史を伝え、人々の想像力を開いていくことが重要だと思います。
世界遺産は、その物語をみんなで共有するためのきっかけなんですね。
私は、ここが魂を磨き直すような場になってほしいんです。忙しく、情報が洪水のように押し寄せる現代社会では、心が疲れたり、自分自身を見失ったりしがちです。周辺を散策しながら、この地でどのような苦労があり、人々がそれをどう乗り越えてきたのかを想像してみる。そうすることで、自分自身を見つめ直すきっかけになるかもしれません。地元の人と対話したり、天主堂の周辺に残る歴史ある場所を訪ねたりしてほしいですね。
私たちが未来をつくり出していくために必要なエネルギー源は、想像力だと思うんです。ここが、その想像力を広げるきっかけになればと思います。
――建築物としての評価はいかがでしょうか。
藤原:この天主堂を設計した鉄川与助さんは仏教徒ですが、日本の伝統的な技法を生かしながら、いくつもの教会を建てています。
前にあるタブノキも見事な防風林になっています。また、日本は湿気が多いため、建物を建てる際には床を高くして通風をよくします。そうした条件が重なり、完成から100年以上が過ぎた今でも、しっかりと維持されているんですね。
内装もヨーロッパの大きな教会堂によく似た空間になっています。不思議なのは、鉄川与助が一度も訪れたことのないヨーロッパの教会空間を、この人里離れた場所で木造によって実現していたことです。
――昨年、ネルソン・マンデラ氏に関する遺産が世界遺産に登録されました。
藤原:そうなんです。
2024年にインド・ニューデリーで開かれた世界遺産委員会で、ネルソン・マンデラさんの人生の足跡をたどる構成資産が世界遺産に登録されました。
これまで世界遺産は建築物など有形の遺産を評価する傾向がありました。しかし近年は、その背景にある人々の営みや物語を再評価することが重要だという考え方が強まっています。
私自身も専門家として、これまでは建築を中心に評価する立場を取ってきました。
しかし、これからはもっと人々の物語をよみがえらせていく必要があるのではないかと思うんですね。
そういう意味では、潜伏キリシタン関連遺産は、世界遺産が人々の物語へと目を向ける流れを先取りしていた存在なのかもしれません。
潜伏キリシタンの関連遺産群が、世界中の人々をもう一度つなぎ直すきっかけになればいいなと思います。



筆者 : 岡内 大三
ライター / 編集者/ 映像制作
移民や少数民族など、社会的マイノリティーの取材を重ねている。単著に「香川にモスクができるまで」(晶文社)。HEAPSMAG、 KOTOBA(集英社)などの媒体にルポルタージュやエッセイを寄稿。近年は、ドキュメンタリーと身体表現が混然一体となった映像作品を制作。「知覚民話 / Inorino」(IDFF上映作品)「演奏で振り返る豊島不法投棄産廃事件」(瀬戸国際芸術祭2019DOMMUNE SETOUCHI)など。

撮影 : 宮脇 慎太郎
1981年香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返したのち、2009年から高松を拠点に本格的な写真活動開始。辺境・辺縁で生きる人々や、マイノリティーが浮き彫りにする命の流れと聖性を追求。2022年にはリアス式海岸が続く南予沿岸地域を6年間撮影した『UWAKAI』を刊行。同年に初のノンフィクションとしてインドのゴアと屋久島、二つのヒッピーの聖地を旅した『流れゆくもの~屋久島・ゴア~』出版。2002年大阪芸大卒業制作展にてホースマン賞受賞。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。2020年香川県文化芸術新人賞受賞。
公開日:2026.01.25