vernacular tour
ヴァナキュラー・ツアー
連載

五島列島
潜伏キリシタン探訪

連載「五島列島 潜伏キリシタン探訪」の
第三回目は「消えゆく集落。祈りの洞窟と、弾圧の無人島へ」です。

Text : Daizo Okauchi / Photo : Shintaro Miyawaki
奈留島
奈留島
VOL.003

『消えゆく集落。祈りの洞窟と、弾圧の無人島へ』

世界に誇れる五島灘の美しさ

まだ少し薄暗い福江の海に、汽笛が鳴り響きます。 福江港から奈留島行きの九州商船のフェリーが、ゆっくりと岸を離れていきました。午前8時5分発の定期船です。雲間から差し込む柔らかな朝の光が、海面をきらめかせています。進むごとに表情を変えていく五島灘の景色。 点在する小さな島々、青く澄明な波の色。まるで宝石箱をひっくり返したように、広大な海のあちこちが輝いています。その美しさに見とれているうちに、気づけば45分の船旅を終え、奈留島の港に到着していました。

港ではレンタカー店の女性スタッフが出迎えてくれました。朗らかな笑顔に、心がほどけていきます。

私たちは、4人乗りの電気自動車を借り、入り組んだ海岸沿いを北上しました。そこで待っていてくれたのは、隠れキリシタンの末裔の田中堅(かたし)さん。現役の漁師さんです。

今回、ご厚意で潜伏キリシタンにまつわる島や洞窟へ案内してくれることになりました。

自らの漁船で迎えに来てくれた田中さん

海とともに生きる、田中さんの人生

田中さんは80歳を超えた今も、一人で船に乗り、
海へ漁に出かけています。
矍鑠(かくしゃく)としていて、
よくしゃべり、目尻を下げてよく笑います。

田中さんの漁船に乗ると、「食べんね」と言いながら、パンやお菓子を次々と出してくれました。そうした気前の良さも、奈留島らしさなのだといいます。
最初の目的地の洞窟に向かう途中、
田中さんに漁師になったきっかけを聞いてみました。



田中さんが生まれ、暮らしている矢神地区は、7代前に潜伏キリシタンが移り住んだと言われる、海沿いの集落。平地はほとんどない地区ですが、何世代もかけて山を切り開き、段々畑を広げ、半農半漁の暮らしを営む人がほとんどでした。

田中さんも子どもの頃から海に親しみ、毎日のようにサザエを獲って遊んでいました。当時を懐かしそうに振り返り、「河童みたいやったなあ」と笑います。



中学を卒業すると、島を離れ、建設関係の仕事に就きました。しかし、夢を諦めきれず、30歳の頃に漁師になったのだと言います

「たぶん私が、奈留島で一番高齢の漁師ですけん。
海が好きだし、漁は楽しいから、やめられません」

奈留島の海は天候により、大荒れします。今もフェリーの運航が休止することもあるほどです。

「海に入ったら漁師は木の葉みたいなもん。始めたての頃は、死にかけたことが何度もあります。ジェットコ-スターみたいに、波が強くて舵がきかなくなることもあった。生きるか死ぬかの経験を何度もすれば、いやでもどうしたら安全か覚えるわけよ。80歳の経験はだてじゃないけん」と、田中さんは豪快に笑います。

ある日、波間に浮かぶ遺体を発見したこともありました。水を吸い込み膨れ上がっていて、最初は何かわからなかったといいます。亡骸を引き上げ、役所が身元を調べると、その女性は済州島の海女だったそうです。

奈留島では昔から、海で亡くなった人が恵比寿様になるといわれ、丁重に扱う風習があります。
船廻り湾沿いの道路脇には、海で亡くなった「糸爺さん」の亡骸を祀った祠があり、今も民話として語り継がれています。




また、八神小島という小さな島には、恵比須様が祭られ、隠れキリシタンの漁師も、祈りを捧げていました。

潜伏キリシタンは、土着の信仰を隠れ蓑に使っていたという説がありますが、実際は土着の神々を大切にしていたのではないでしょうか。こういった民話は、その手掛かりになります。

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撮影 : 岡内 大三

洞窟に残る、祈りの気配

撮影 : 岡内 大三

地元住民に「かじ穴」と呼ばれる洞窟に到着しました。
五島列島にはこうした身を隠せる洞窟がたくさんあり、迫害から逃れた信者が数か月も生活をしていた「キリシタン洞窟」は有名です。
禁教期にはこの洞穴で人々が秘密裏に儀式を行い、祈りを捧げていたのかもしれません。
入り組んだ海岸線と複雑な地形を持つ五島列島では、こうした身を隠し、祈る場所がたくさんあります。


入口近くで船を止めてもらい、海を歩いて洞窟へ向かいます。足元に海水を感じながら洞窟に足を踏み入れると、冷涼な空気が肌を包みました。

暗闇に沿って奥へ進むうちに、風や波や鳥の鳴き声が少しずつ遮断されます。振り返ると、入口の輪郭をぼやかす、ほんのりした光が差し込んでいて、それは信徒たちが神を見たのだろうと容易に想像できるほどに、神々しいものでした。






懐中電灯を岩肌に向けると、紅色とも紫色ともいえる模様が、いたるところに染みつくように存在していました。
潜伏キリシタンは厳しい現実を生きるために想像力を広げ、貝殻や光などの身近な自然に神の気配を見出しました。
ここでも自然がつくりだした模様から、信仰を託せる象徴を探したのかもしれません。





神聖な空気を感じながら、目をつむると、
信徒の声が聞こえてくるようでした。

葛島で起きた弾圧

次に向かったのは葛島です。奈留島で初めてのキリシタン集落があったともいわれる島です。昭和初期には、葛島には300人ほどが暮らし、教会や小学校もありましたが、今は無人島です。

葛島は奈留島の潜伏キリシタン史をたどる上で、重要な島です。奈留島で唯一「五島崩れ」により、迫害を受けたのも、葛島でした。

「五島崩れ」とは、明治初期に五島列島各地で起きたキリシタンへの大規模な弾圧です。発端となった久賀島では、わずか十二畳ほどの牢に約二〇〇人が押し込められ、棄教を迫られました。排泄もその場で行わなければならない過酷な環境で、飢えや病、責め苦によって四十二人が命を落としました。葛島からは、三人の住民が福江島へ連行され、拷問を受けたようです。

その後、信仰の自由が認められてから、カトリックに改宗した島民は、自分たちの手で民家風の素朴な教会を建てました。台風で倒壊したこともありましたが、そのたびに島民が力を合わせ、建て直したといいます。
建物自体は残っていませんが、水路だったと思われるコンクリートの跡が残されています。


そんな葛島が無人島になったのは、昭和48年3月26日でした。経済成長に伴う働き手不足や過疎化、インフラ維持の問題などから、約80人の住民たちは奈留島の樫木山地区へ集団移転したのです。
その日、スピーカーから「蛍の光」が島中に流れ、人々は故郷との別れを惜しんだそうです。









その時牧畜していた牛が残され、野生化したようですが、その姿は見られず。まだ柔らかい牛のふんが大量にあったので、どこかに潜んでいるのでしょう。
ある島民は「昔は牛達が海辺で日光浴をしていたのに、子牛を盗みに来る人がいるから、姿を見せないようになった。」と言っていました。
真偽は定かではありませんが、新しい民話が生まれそうな話です。

撮影: 岡内 大三
撮影 : 岡内 大三

小舟の上で潜伏キリシタンを想う

そろそろ戻ろうというとき、田中さんはお気に入りの航路を走ってくれました。次々と現れる切り立った岩肌は、生命力にあふれていて、ひとつとして同じ形がありません。鋭く突き出たもの、幾重にも層を重ねたもの、今にも崩れ落ちそうなもの。人間の尺度では測れない時間の積み重なりを感じさせる景色です。

それはフェリーからの景色とは、ずいぶん印象が違います。潜伏キリシタンの歴史を感じる島や洞窟を歩いたせいでしょうか。信仰を理由に弾圧されたこと。愛する故郷が無人島になったこと。それでもしなやかに、力強く生きる隠れキリシタンの末裔。

この茫漠とした厳しい海を、潜伏キリシタンは木船で櫓をこぎ、わたった。捨てたくないものを守るために、命をかけた。たどり着いた島の痩せた土地を切り開き、水場を探し、棲み処を建てた。海からの恵みと、わずかな農作物を頼りに、命を紡いだ。そして、その末裔の田中さんも、小さな漁船で、先祖の海に分け入っていく。その長い歴史を、命の循環を、この海が育み、受け入れてきたのです。




「八神地区は漁師が多く、海に感謝していながら生きてきた。
もう人が減ってしまっているし、高齢者ばかり。隠れキリシタンの信仰も残っていません。
でもわたしがこどものときにあった、段々畑を思い出すと、あんなところを切り開けたのは、信仰心の力だったんだろうなあと、先祖に感謝します」

田中さんは、こうも言いました。

「人間は一人では絶対生きていけない。
なかよくせな(なかよくしなければ)。
なかよくせな」

この言葉が、潜伏キリシタンの歴史と重なりました。

「さて、そろそろ日が沈むなあ」と、私たちを岸へと連れ帰ってくれました。田中さんにお礼と感動を伝えると、「楽しんでくれたんならうれしい」と、まるで家族が褒められたような、屈託のない笑顔を浮かべていました。





「また遊びに来てください。漁に興味あるんやったら、教えてあげるよ。がはははは」と、豪快に笑い、すっかり日が傾いた海原を進む田中さん。
ほんのり柔らかな陽光が、海面をうっすらと光らせていました。

集会所に残る、土着の記憶

別の日、田中さんが暮らす矢神集落を訪ねました。
海岸沿いの小さな集落で、わずかな平地と小高い山に沿って家々がぽつんつんと並んでいます。田中さんが子どもの頃には、集落の段々畑が並んでいたといいますが、もうありません。
かつては小麦畑もあり、海上からみた金色に光る光景は、忘れられないと言います。

「なんとか、八神地区を活気づけたい」と話す田中さんは、漁以外の時間に、集落の空き家の庭の雑草を一人で刈ったり、浜辺に打ちあがった ゴミを掃除することもあるそうです。



集落の中心にある集会所へ案内してくれました。
です。

かつてこの平屋で頻繁に寄り合いが開かれ、酒を飲み、カラオケを歌い、大いに盛り上がったようです。「みんなで飛んだり跳ねたり、そりゃあ楽しかった」

集会所は、地域の人々が協力して、自分たちの手で建てたといいます。行政の支援は今ほど手厚くはなかったのです。

「学校が解体してたので、木材もらってなあ。みんなでコンクリつくったり、本当に団結が強かった。私が27歳の頃。世帯数も40くらいあった。もう、ここも維持できなくなってきたなあ。残したけど、壊さないかんという話もあります。思い出がいっぱいあるから、寂しいよ」

田中さんは、ぽつりとそうつぶやきました。




壁一面にびっしりと張られた板に、この土地で暮らした人々の名前や寄付の記録が刻まれていて、この地域最後の帳方だった人物の名前もありました。
郷土史には残らないであろう、集落に生きた人たちの痕跡です。
先祖の中に包み込まれるような、不思議な気持ちになります。





矢神地区の人口は今やわずかです。共同体を維持できるかどうか、その先行きは見えません。

時の流れが物事を変えてゆくのは、世の常ですが、その渦中にいる当事者にとっては、そう簡単に割り切れるものではありません。






そうした葛藤や揺れは、多くの場合語りとして残らず、共同体が消えていくとき、それもまた、一緒に消えていきます。ですが、その語りの中には、誰もが必ず経験する「変わること」をどう受け止めるかを考える、示唆が含まれているのではないでしょうか。


そういった土着の声を、私たちの活動を通じて、少しでも残し、伝えていきたい。そう強く感じました。

撮影:片岡 優子
撮影 : 岡内 大三
撮影: 岡内 大三
撮影 : 岡内 大三
撮影 : 岡内 大三
撮影:片岡 優子

TEXT : 岡内 大三

ライター / 編集者/ 映像制作
移民や少数民族など、社会的マイノリティーの取材を重ねている。単著に「香川にモスクができるまで」(晶文社)。HEAPSMAG、 KOTOBA(集英社)などの媒体にルポルタージュやエッセイを寄稿。近年は、ドキュメンタリーと身体表現が混然一体となった映像作品を制作。「知覚民話 / Inorino」(IDFF上映作品)「演奏で振り返る豊島不法投棄産廃事件」(瀬戸国際芸術祭2019DOMMUNE SETOUCHI)など。

PHOTO : 宮脇 慎太郎

1981年香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返したのち、2009年から高松を拠点に本格的な写真活動開始。辺境・辺縁で生きる人々や、マイノリティーが浮き彫りにする命の流れと聖性を追求。2022年にはリアス式海岸が続く南予沿岸地域を6年間撮影した『UWAKAI』を刊行。同年に初のノンフィクションとしてインドのゴアと屋久島、二つのヒッピーの聖地を旅した『流れゆくもの~屋久島・ゴア~』出版。2002年大阪芸大卒業制作展にてホースマン賞受賞。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン。2020年香川県文化芸術新人賞受賞。

公開日:2026.01.30

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